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トランクルームについて

私は、お母さんのための家を建てることができたLこそが、ほんとうにしあわせ者だったのではないか、と思う。
このとき、彼は「建築家」を超えて、住み手以上の住み手とでもいうべき特別な存在になっていたのだ。 じつは、私は彼の建築が、大好きというわけではない。

美しいとは思うけれど、あまりにモダンで、あまりに硬質で、くつろぐというよりも住み手に緊張感を求める家のような印象がある。 コンクリートやプラスチックやガラスといった素材を好んで使っているためでもあるだろう。
でも、というか、だからこそ、あのLをして、これほどあたたかい設計をさせた親と家への愛情に、心が打たれる。 私たちだって、Lの得たしあわせを、自分白身の「小さな家」から得ることができると思う。
ガーデニングの専門家でも、「べつに木を植えなくても、草花でじゅうぶんですよ」と言う人がいる。 もちろん、植物を育て、花を愛でるよろこびは木であるか草であるかを問わないものだし、ガーデニングだけにかぎってみれば、好きな植物を選べばいいと思う。
けれども、あなたが、地面の上に建っている家に住んでいるならば、私は「木を植えませんか」と言いたくなる。 マンションなどの集合住宅に住んでいて「上」がない人や、近所との位置関係でどうしても場所が取れない人にはむりな注文だけれど、どんなに狭い土地でも「土」の上に住んでいる人なら、なんとか五〇センチ四方の地面を確保して木を植えてみてほしいのだ。
そもそも、「ある家に住む」とは、まず、「ある土地を選んで住む」と等しい、ということを考えてみよう。 家は土地の上に建っている。
人は、家を選ぶときに、「この駅を使って、この街に住む」と決めて、さらに「この場所に住む」と絞りこんでいくものだろう。 更地であったり、家が建っていたりする場所を、「自分がここに住むんだ」と思って眺めるだろう。
そして、日当たりを確かめ道路とうまく接しているかを見たり、騒音や湿り気など問題がないか気にしたり、ご近所の人がよさそうな人かもチェックして、「この場所なら」と決める。 つまり、その場所と「私」とのあいだに関係を結んでもいいかどうかを見極めるのだ。

「私はここで暮らします」と宣言したのである。 私には、人はいま住んでいる土地と深く結びついて生きていくものだと思えてならない。
交通の便や買い物の便なども関係あるし、日当たりや風とおしなどの自然環境も関係ある。 顔を合わせれば射影くらいはする近所の人との人間関係もある。
それらの、その場所ならではの環境がそこに住む人のいごこちを左右し、しだいにものごとの考え方や心の状態も変えていくものだと思うのである。 むかしの、「産土の神」という考え方も、そんな感覚から生まれたものなのだろう。
産土神とは、その人その人が生まれた土地の守護神。 人が生まれた瞬間に、その土地の守護神がついて、一生その人を守ってくれる。
いまは、生まれた土地にそのまま住みつづける人のほうが少数派だろう。 私も現在まで九回の引っ越しをしているし、何度も何度も家を移っていく人のほうが多いはず。
そうやって、だんだん人と土地との関係が薄れて、自分の家のことだけを考えればよし、という世の中になっているのかもしれない。 だからこそ、というと少々無理があるかもしれないけれど、せめて家を選び、住みはじめるときに、「私はこの土地に住むんだ」と意識してみてほしい。
木を植えるのは、自分に対する「私はここで暮らす」という宣言と、その場所に対する「よろしくね」という挨拶みたいなものなのだ。 そういえば、むかしから子どもが生まれると木を植えたものではないか。
女の子なら檜を植えて、嫁入りのときに箪笥などをあつらえる習慣もあるし、そんなに実利的でなくても、 子どもの健やかな成長を願って木を植える習慣はいろいろな地域に見られるものだ。 ちなみに、私が生まれたときに両親は桃の本を植えてくれた。

十二歳の頃まで住んだ家では、毎年、桃の花が咲くたびに自分の分身ががんばって花を咲かせているようで、いとおしかったものだ。 けれども、その家を手ばなしてマンションに移るときに、桃の木は母方の実家に移植することになった。
桃の木のことを思いだすたびに、一人でさびしかっているのではないだろうかと心が痛む。 木を植えることには、もっと現実的ないいこともある。
ひとつには、街並みに家が溶けこむこと。 家はそれぞれ違うものだし、大きさも高さも違う。
家だけではパラパラな、落ち着きのない街になってしまう。 でも、緑の木があいだをつなぐことで、人の庭と自分の庭がまざりあって、みんな一緒に住んでいて、街がみんなを一緒に受け入れているような落ち着きが生まれる。
ある土地に住むとは、「ここに住むみんなといっしょに暮らす」といった共同体の言貝に加えてもらう要素もあって、 自分の家にも木を植えることで「いっしょにまぜてね」と言っていることになるのだろう。 それから、敷地の角に背の高い木を植えると、敷地が広く見える効果もあることを付けくわえておこう。
なぜなら、木で空間が仕切られて、家の周囲の空間もその家に属しているように見えるから。 逆に、木がなければ、家のまわりの空間は道路の延長かとなりの家との隙間にしか見えなくなりがち。
だからといって、塀で仕切ると「ここはウチの土地」とまわりを威圧する感じがするし、地面の日当たりだって悪くなる。 私は、低めの塀か生垣をめぐらせて、要所要所に木が植わっているくらいが好きである。
では、どんな木を植えればいいのだろう。 昨今の住宅事情を考えると、あまり大きくなりすぎる木や、害虫の多い木は避けたほうがよさそうだ。

外国産の木もたくさん植木屋に出まわっているけれど、あまりにも気候にあわず育てにくいのも考えもの。 おすすめなのは、花も咲いて楽しみな木。
ハナミズキ、ハナカイドウ、ナツツバキ、シデコブシ、ウメといった落葉樹。 葉っぱがやわらかくて姿も美しい反面、地面が乾いてしまうと葉っぱの先が茶色く枯れてしまうので、めんどうくさがりの人にはおすすめしにくいのはたしかだが。
管理がらくなのは、やっぱり常緑樹。 ツバキやサザンカは、春夏の害虫駆除が必要なのがちょっと難点だけど、花の楽しみを考えると捨てがたい。
手入れで、香りもすばらしいキンモクセイやジンチョウゲもいい。 赤い実がきれいなクロガネモチも、私は好きだ。
葉っぱを愛でるヤツデやアオキ、カクレミノもいい。 一般的ではないので人にはおすすめしないが、私はヤマボウシやエゴノキ、オオヤマレングは大好きだし、広さが確保できるならコブシやタイサンボクなども魅力的。
こうして並べると、珍しくもない木ばかりだと思われるかもしれない。 でも、それでいいのだ。
個性を主張するだめに植えるのではないのだから。 それに、一本の木があれば、その緑に助けられて、華やかで個性的な花々のガーデニングもより映えるものなのだから。
家づくりの楽しみのうち、庭づくりの楽しみは半分近くを占めるのではないか。 「それは、ひろーい庭を持っている、特別な人だけでしょう」と反論しないでほしい。
私か、いまの家の前に住んでいた家は敷地面積二六坪、駐車スペースを除くと家のまわりには「庭」などないに等しかった。

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